さみしい気持ち。
おはようございます。
日向市は晴天☀
気持ちのいい朝です。
私は、小さいころいつもさみしい思いをしていた記憶があります。
かぎっ子だったし、夜の留守番も頻繁でしたので。
家族で出かけた記憶もほとんどありません。
そして今三人の子育てをしていく中で、私は極端に子供にさみしい思いをさせてはならぬと思っていたことに気づいた時がありました。
それはやはり、私自身がさみしかった経験をしているので
あの時の私と同じ気持ちなんじゃないだろうか
母である私に不満が出るんじゃないだろうか
もっと一緒にいてほしいと言えずにいるんじゃないだろうか
そんな風に、私が自分でかけた色眼鏡で我が子の気持ちを敏感に察していた時期がありました。
ある時、働き者の私が(自分で言うのね 笑)夜の時間を立て続けに開けるときがあり、私のいない時間のすべてを請け負う主人に申し訳なく
「子供の事も家の事もなんでもしてもらってごめんね~」
と言った答えに
「別に、やれる方がやればいいし、別に俺も親だし」
と主人が平然と言ったのに私は思い違いをしていたことにひどく反省しました。
それに加え
「意外と片方しかいない夜は子供たちは甘えることなくしっかりしてるよ」
と私がいない時の子供たちの様子を伝えてくれたことがありました。
私はさみしい思いをさせてはならない⇒母親がいない夜なんてありえない⇒父親では変わりにならない
私の『子供のさみしさ』に対する思いは掘り起こせば主人にとても失礼な気持ちを抱いていたことになります。
「俺も親だし」
と言った言葉に気づかされたのです。
そして、自分が家を空けることに対して罪悪感を抱いているのを
『子供にさみしい思いをさせてる』
と理由を付け
私がいなくてもしっかり自分の事をやっている子供たちの成長に気づかずにいたのです。
夜、用があって出かける私に
「ママ、頑張ってね!!!」
と手を振る我が子に
「頑張るよ!!」
と素直に言えるようになったのは本当に最近の事。
何かを強く思い、それが胸をつまらせる思いなら少しほどいてみるのもいいかもしれません。
”誰かのため”
と思っていたことが実は自分の思いを解消させたい根底から来ているかもしれないから。
いや~~たまには真面目もいいですね♡
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