知らない・わからないは恥?。

こんにちは~

G・Wも折り返しましたね。


私は昨日、実家である佐賀県唐津市から日向に戻りました。


あるSNSでの情報に

自分が、「わからない、知らない」という事を認められないで前に進めないでいる人がたくさんいるという記事を見て考えたことがあってそのことについて書こうと思います。


前にも記事に書いたことがあるんですが、私は高校一年で中退し学歴は

”中卒”です。


中学の時の成績は

210人程の同級生の中、余裕で200越えをしてしまう順位で

同じように自宅勉強をしていない兄たちにいつも笑われていたほどの成績でした。(なぜか兄たちは上から数えたほうが早いほどの成績・・・なんの違いなのか・・)

中三の時なんて、数学はオール1  笑 (´-∀-`;)

さすがに勉強できないというより、勉強してない状況でした。


でも、私

面の皮は厚い  爆


そのことについてあんまり悩んでおらず、いつも

”そっか、私って勉強できない頭なんや~~”

と思っていました。


ただ、なぜそう思えたのか

私、小学校の頃から絵を描かせたら五本の指には入るくらい絵が得意。

ソフトボール投げは女子でダントツ1位。

縄跳びは「縄跳び名人」に任命。

鉄棒も新技ばかり決めては周りを驚かせ、

ドッジボールではチームを組むと必ずトップになるほど強かったのです。


そして、絵を描くことと、運動すること、歌う事がとても好きでそれ以外に興味はありませんでした。


なので興味のない分野で

「どうしてできないの?」

「恥ずかしいと思わないの?」

と先生から言われてもピンとこないわけです。


それこそ

「いや、別に・・・」   どっかで聞いたセリフだわ(´-ω-`)


でも、ドッジボールで負けそうになれば、

なぜ負けそうになったのか戦略を立てたり、自分がどうだったか振り返ります。

ソフトボールも誰にも追いつけないように広場で遠投を繰り返していました。



という事で、私の物事に対する前提が


知らない・わからない  ことだらけ。


なので

そんなことも知らないの?と言われるようなことも平気で

知らないので教えてくださいと言えるんです。


今のわからない人いますか?に

わからないのでもう一度説明してください。

と、言えます。


知らない事や、わからない事を恥ずかしいと思う人が仮にいたとしたら


なぜそう思ってしまうんでしょうか。

周りの人の”常識”や”知識”と同じでなければならないと思うのでしょうか。


生きてきた背景や、環境は皆違うのに、その場にいる人は皆そうでなければならないと思ってしまうのでしょうか。


自分だけが知らない事が悔しいのでしょうか。


過去にいた職場で

「学歴なくても、知識はなくてもあなたのように素直な人が一番伸びる」

と言われたことがありました。

仕事での間違いや失敗も

「誰がやったの?」に対して

「あ、それは私がやりました。」


とすんなり言える、これはなかなかいないんだと話してくれたことがあります。


それなりの大学や会社にいると、いつの間にか自分をその枠にはめてしまって身動きが取れなくなってしまうのでしょうか。

間違ったり、知らなかったり、わからない事があってはならぬという枠をいつの間にか自分にはめてしまうのでしょうか。


私は、勉強が出来ずに国語・算数・理科・社会のテストの点数は目も当てられないほどの物でした  笑


だからと言って優秀な子に嫉妬したり、自分と比べたりすることも目立って無く

優等生が大好きで仲良くなる子はいつも頭がよくて、お嬢様ばかり。

”憧れ”に近いかもしれません。


でもそんな優等生の友達からはいつも

「ゆき恵ちゃん、絵を描いて」と言われていました。

私の得意なことをいつも認めてくれていたんですね。

なので、勉強できない自分も自分なんだ、と自然と思えたんだと思います。


”聞くは一時の恥  聞かぬは一生の恥”



私は知らないことだらけ、わからないことだらけですので

知ったかぶったり、わからないままにせずに

常に学ぶ姿勢でいることだけは忘れずにいたいです。






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