最後の親子コミュニケーション記事。
あなたの接客魅力を
とことん引き出し、売り切る
マインドアップコーチの荒木ゆき恵です。
が、昨年、起業した時に掲げた
お母さん向けのコーチングを
今年、一気に変えて新たに進む事になりました。
我が子が、中学受験で結果を出し
これまでの道のりが
私が学んだコーチングによるもので
親子コミュニケーションの最後の発信とすることになりました。
これから、お子さんの進む道で
どうすればいいかと思うお母さんたちのために
この受験で向き合った私たち親子の話を、これを最後に書き記そうと思います。
長文になりますが
お付き合いください。
あなたは我が子が難関校を受験したいと言ったら
どうしますか?
うちは、それが一年前に起きたのです。
親として
特に目指してほしいことがあるわけでもなく
何か特別なことをしたわけでもないけれど
なぜか、我が子は塾に行きたいと思っていました。
未だに何でだったのかなと思うほど。
これは、実は小学四年生から始まっていました。
「私、将来フランスで働いていたい」
この、何気無い会話の中で出てきた、長女の願望。
この時、昔の私なら
「そんなの大変よ〜、フランスで働くくらいだから、物凄い勉強しなきゃいけないよ」
と、このようなことを言っていたに違いありません。
そう、長女の“今”の状況を否定した
言い方をしていた可能性がありました。
でも、私は既に出会っていました。
対人支援技法、会話のスキルである
コーチング
に。
コーチングは
自己肯定感を上げるための関わりや
相手の目標到達に必要な気づきの引き出し
そして、相手を認める承認のスキルがふんだんに組み込まれていて
関わる人のモチベーションを保つ
会話の流れを作れるのです。
小学四年でぼんやり語った
長女の儚い夢。
私はこの気持ちを大切にしてあげたいと
心の底から思いました。
なので、聞きました。
「フランス行きたいんだね〜?
ママもフランス好きなんだよ、まだ行ったことないけど。
マリーアントワネットが好きで
ベルサイユ宮殿に行きたいと思ったことがあったよ。」
すると長女は語り始めました。
エッフェル塔の話や
マリーアントワネットがなぜあの最期を迎えたのか。
本が何より好きな長女が
何度も読んだであろう、こと細かな
説明が、私たちの頭の中のイメージを作り上げ
話している長女も、ワクワクしていくほど
リアリティ溢れる会話が繰り広げられました。
そこから
フランスで働くには
何をしたら良いのか?という話になり
まず大学は行った方がいいのか
という私の質問から
フランスに行くくらいの何かを見つけるには
それなりの大学に行かなくちゃだな、と娘。
じゃその大学に入るためには?と聞けば
それなりの高校に行くのかな?と娘。
それなりの高校に行くには
今の時点で何ができるだろう?
との問いに
今のうちから勉強しておくこと?
というところまで掘り下げました。
その頃、通信の教材で勉強していた長女ですが
教材に飽きが来ていたのか
どんどんやらなくなっていたのです。
たまに、全国小学生統一テストでお世話になっていた
延岡市の塾、昴延岡校に行きたいなぁという思いが出て来ていたのです。
でも、その時はまだ、今の場所に引っ越しておらず
昴に行くには片道1時間以上かかる上に、交通機関がなく
通うことは不可能だったのです。
塾の話はしなくなり、
フランスの話もそこから自然と話さなくなりました。
物理的に厳しいことは、小学四年生でも
すぐに理解できることでしたから。
小さな夢が消えかけた時です。
でも、チャンスは訪れます。
一昨年、行きたかった塾から30分圏内の場所に
私たち親子は引っ越しました。
2016年の8月のこと。
そこから11月にまた、統一テストが実施され、塾に行く機会がありました。
オリエンテーションの時に引っ越したことを先生に伝えたのでしょう。
帰ってくると
「塾に行きたい」と言い出したのです。
私の主人も、私立の中高一貫校に通っており
目標がないと塾に行く意味はない、と
娘に伝えました。
考えたのでしょう。
統一テストで何やら情報を掴んで来まていました。
「中学受験をするなら塾に通わなきゃ?」
私達に聞いて来ました。
小学五年の秋です。
主人は、宮崎で受験できる中学校を調べました。
なんせ、移住者なので私達親に情報がないのです。
そこで出された娘への答えは
・私立は受験しない
・目指すなら宮崎でトップクラス
・必ず受かる気持ちで目指す
これらのことでした。
目指したのは宮崎でもトップクラスの
宮崎西校附属中高一貫校です。
そして、ここから長女の意志の強さは発揮されます。
なんと、引っ越した家の目と鼻の先には
昴日向校があり、通うにはもってこいの立地だったのにも関わらず
長女は、車で片道30分超かかる昴延岡校に行くと言ってきかないのです。
主人は最初、反対でした。
これは、どの親御さんでも反対すると思います。
だって徒歩5分かからないところに
同じ塾があるのですから。
でも、長女は、訴えます。
延岡の先生や塾で仲良くなった人たちと頑張りたい、と。
実は統一テストで
塾生じゃないにもかかわらず
科目ごとに宮崎1位や3位を手にし
結果を出していたのです。
長女からすれば
延岡校の先生に信頼を寄せていたのでしょう。
主人に反対をされて肩を落としたけれど
私は言いました。
「本人が、こんなにここでやりたいと言うなら
やらせてみてはどうかな?私ができるだけサポートするから」
もし、途中で辛かったりきつかったりしたら
やめる、と決めることができるのを
私は道として用意できるのです。
渋々延岡校に通うことを承諾してくれた主人。
だけど、パパには弱音を吐けないことをしっかり胸に受け止めました。
ここから
私と長女の二人三脚が始まります。
2017年の幕開けと共に
ランク的に上から2番目のSクラスに
入会しました。
この時、ドラマで下剋上受験の放送がスタートしていて
長女にはいい刺激となり
主人には不安を煽るドラマとなりました (笑)
行き帰りにはいろんな条件があり
そこもいつか障害になる予測はできています。
それを、覚悟で始まった
受験勉強の日々。
中学受験の準備を始めるには遅すぎるタイミングの中、一人長女だけは胸を踊らせ
塾に通う切符を手に入れました。
ここから、どれだけモチベーションを保つことが難しいかを
母である私が痛感したのです。
最初半年は順調でした。
偏差値は足りないにしても
本人のやる気が強く
他の子よりも多いロスタイムをどう埋めるのか
自分で考え、順調に偏差値を上げて行ったのです。
その最中、テレビ放送された
「ビリギャル」
友達と遊びながらも、勉強を続け
ヘトヘトになりながらも
塾の先生と母親から励まされ
友人と受験勉強を両立していた
主人公。
こんな風にも頑張れるんだ、と長女の中に確かに“違う視点”が育まれたのです。
これが発揮されるのは
もっと後のことですが。
そして、6年生になりクラスが変わり学校での様子にも変化が起きました。
そう、友達との関係が強く深まり始めたのです。
とてもいいクラスに恵まれ
楽しくて仕方なくなって来た学校生活。
転校して来た五年生の後半とは
目の輝きも全く違いを感じました。
夏前、長女のやる気に変化が出始めました。
だんだんと塾の話もしなくなり
塾の成績も伸び悩み始めました。
友達が放課後遊んでる情報が入ったり
休みの日に誰かの家で遊んでいたり。
塾に通い出した時に
こういう日が必ずやって来る
それでも1年間頑張り通せるのか?
祭りが多い日向市で
祭りに行けない日が続くのに
目の前で開催される祭りの音に
悔しくなるかもしれないよ?
と何度も話し合っています。
それでも、やる!と決めた長女の口から
苦しい、辛いという言葉は一切出て来ません。
でも、私は気づいていました。
やめたくなったんだろうな、と。
その頃から
私たちに笑顔を見せることが減りました。
私は母として、これは危険だと察しました。
長女が自分でやっていることが
何の意味も持たなくなって来ているのです。
たまたま、塾へ行くには電車の時間がなく
私が車で送る時間30分がいい時間となりました。
私 「最近どう?」
長女 「何が?」
私 「何かしたいことないのかなって」
長女 「友達と遊びたい」
私 「友達と遊びたいんだ??そっかそっか〜楽しそうだもんね、学校」
私 「うん、クラスの皆がね〜、
◯◯ちゃんがね〜、◯◯くんがね〜、
先生がね〜」
久しぶりに見た長女の笑顔に
あ〜、この心を置き去りにしては
いけないんだった、忘れてた
と感じました。
私自身、勉強できなくても生きていける証のような人間なので
サボり上手な部分を
教えてあげることも大事かも!と視点が変わりました。
・目指していたことを
やめることは悪いことじゃない
・息を抜いてサボることも目標に向かう途中には必要であること
・何よりあなたが楽しいと思うことをやることは絶対に必要だということ
この事を話しました。
長女は苦しかった事を私に泣きながら話してくれました。
受験をやめたいと言いました。
これが7月に入った頃。
うんうん、わかったよ。
とりあえず今やりたい事やろう。
夏休み終わるまで
時間があるし
友達と遊びながら
やめるかどうか判断しようか?
長女の中で、友達と遊ぶことは
塾をやめなきゃできない事だと思っていたようで
私のその提案に
戸惑いながら
少し心が軽くなったような顔をしました。
そんな息抜きをしていた7月。
実は8月に強化合宿を申し込んでおり
行かないかなぁ、と思っていたら
親元離れることが少し嬉しいお年頃で
二泊三日の缶詰合宿は
6年生の娘の胸を踊らせたのです。
長女、心入れ替わる時。
スイッチが入ったのはすぐにわかりました。
友達とも一緒にいたい、同じ中学に行きたいという気持ちと裏腹に
塾の仲間と同じところを目指したい
という気持ちが出て来たのです。
私はとりあえず
そっとしておきました。
しばらくして
特定のお友達の名前がよく出て来るようになった時
「ママはあなたの本気を応援してくれる友達が本当の友達なんだと思うんだよ。
ママにも全然会えないけど
遠くでいつも応援してくれる友達がいるんだ」
と話しました。
そこから
受験を頑張りたいという気持ちを
その友達に話したようで
祭りに行くために
コン詰めて頑張る姿に
「一緒に行きたいから応援してるから!」
と言ってもらえたようで
長女のやる気は加速して行きました。
・中学が離れても地元で遊べること
・違う学校でも一緒に勉強できること
・祭りはまた一緒に行こうと約束したこと
この日常で起きる些細な事を
大切にしていい、という事を
長女には理解させました。
常に私が長女に話して来た事
それは
あなたの人生で最も大切な
友達と遊び楽しむこと
これはどんな時もあなたを支える素晴らしいものになること
受験は通過点、そこに向かって頑張ることは大切だけれど
あなたが楽しいと思う事を
置き去りにしては
何にも頑張れないんだよ
私はこんな風に
長女が枠にはまりそうになったタイミングで
ちゃんと向き合い話して来れた事に
感謝しています。
長女は言いました。
「やめたいけれど、チャレンジしたい。今まで頑張った分を無駄にしたくないから、最後までやり切る」
はぁ、なんて強い子なんだと
再確認しました。
そこから
自分の勉強の仕方に
特徴がある事を自分で見つけ
夜は眠くて仕方ないから
朝早く起きる方法で後半やり遂げました。
祭りで何度も週末の塾をお休みするたび
塾の先生にも
「多分、どこまでやらなきゃいけないのかわかっていると思うので
私は本人を信じ、息抜きさせたいと思います。」
とお休みの連絡をしました。
塾の先生も
「塾では問題なく過ごしていて、最近やる気を感じられるのでいいと思います。」
と信じてくれました。
そこから猛勉強。
負けたくないライバルも隣にいて
切磋琢磨したんだと思います。
私たちは長女の勉強時間に
口出しせず、見守ることにしました。
でもさすが難関校。
過去問で一切太刀打ちできない場面も何度もあり
不安に煽られた時期もあったようです。
そして長女が克服する最大の壁は
“面接”
本が好きな長女の感性は、作文に注がれ
人前で話すことの苦痛は避けて通れません。
でも、私たちはこれ以上口出しはせず
任せることにしました。
年末から長女のインフルエンザ対策で
R1ヨーグルトを飲む習慣をつけ
雨の日は出来るだけ送り迎えを努力しました。
そして入試の日。
何も変わらずいつもの様子で出かけて行きました。
母である私も
その日は人生を変える講座に参加しており
たくさんの学びを得ていました。
母娘でチャレンジした日。
一生忘れられない日になりました。
そして訪れた
通知が届く予定の日。
次女の習い事に送迎して帰ってくると
泣きじゃくって
「受かったよ」
ともたれかかった長女。
私は天にも登る気持ちで
娘を抱きしめました。
よく頑張ったね〜
お疲れ様〜
長女の、チャレンジは
大きな結果を出しました。
いつまでもいつまでも涙は止まらず
その姿はどれだけ苦しかったのかがうかがえるほど。
塾の先生も
「あの思い切った息抜きが
やる気に繋がったんでしょうね。」
と変化に気づいていてくれました。
途中、折れかかった心が
また起き上がり
さらに強く目標へ向かえたのは
長女の心が求めるものを
思う存分認めて、やらせてあげられたこと
これに尽きると思いました。
私がこのように長女と向き合えた背景には
私をコーチングに導いてくれた
パソコンくらぶoneの
新田裕章先生
そして私の才能を認め生きる力を認めてくれた
ヘルスコーチジャパン代表の
最上輝未子コーチ
私の母親としての自己肯定感を認め、私の資質を導き出してくれた
マザーズコーチジャパン・グランドマスターコーチ
平田奈美コーチ
そして、共に戦う強さを認め
私の在り方を信じてくれている
ビジネスコンサルタントの
長友あづさプロデューサー
そして何より
家族でいれば怖いものはないと
いつも支えてくれる
パートナー
に全身全霊、感謝しています。
娘はスタートラインに立ちました。
生まれて12年で
自分で決めた目標へ向かい
苦しみと戦いながらも
友情を育み
手にしたスタートラインです。
私は変わらず娘の姿を
見守りつつ
母として成長していける強さを
身につけていきたいと思っています。
これで私の
《親子コミュニケーション》
についての記事は最後です。
新たに私は、私の道を切り開いて行きます。
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