母に依存していた過去。

前に”シングルマザーの家庭で育った私”というテーマで記事を上げてますが、私が一番苦しかった日々の中の話です。

始まるよったら始まるよ♪  少し暗い話~~でも最後はとても感動的°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°


私は15で社会に出て、とにかく家族が楽になればという思いで働いてきました。

借金の話も前の記事で書いてますが、とにかく毎日その日暮らしだったんです。


もう一回その人生、お金やるからやれって言われてもやらないな~~~。



そう、本当によく頑張ってました。今の私から見ても、客観的に見ても。


母のために

車のない母だから

私が頑張ればなんとかなる

私がいれば母は楽になれる


いつだってそう思って仕事ばかりしていました。



借金返済中のとある母との喧嘩で

母は二日家を空け、行方不明となったのです。


私は朝方まで寝ずに待っていました、翌日も今か今かと家で待ち、探せるところは探しました。

その時母は私名義のPHSを所持しており、電波はつながらず・・・。

心配で心配でたまらず、いつもは誰かに相談したり、電話かけたりしないんですが、その日ばかりは何人かに連絡せずにはいられなかったのです。


「ねぇ、あんたさぁ家出たら?」

電話でひとこと言い放ったのは私の幼馴染でした。

「あんたがいるから、あんたが頑張るから、おばちゃん何もしなくなったんやないん?」


私、気づいてなかったんですね。

ずっと母のためだとやってきたことが、母のやる気を奪っていたことに。


母は「助かるよ」とよく言ってくれました。

私はそれが嬉しかった。

でも、母は”助かる”と言いながら親としての自信を失っていたのです。


ダメな自分のために、自分の時間を削って働き多額の借金を返してのけた娘に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。


もしかしたら、もっと頼ってほしかったのかもしれない。

助けてよって、母は娘に言われたかったのかもしれない。


私は、幼馴染に言いました。

「お母さん捨てて出ていけない」

返ってきた言葉は



「あんたおばちゃんダメにするよ、まだ50代やろ?気張ればまだまだ頑張れるやん、あんたがいたら頑張らんでいいからなんもせんやろ。おばちゃん、だめにしたいん?」


私は父を亡くした母に依存していました。

なんでもやってあげたい、なんにも手のかからない娘でいたい、と。


コーチングを学んで本当に過去の事もよく見えてきます。



私にはネイティブコーチがすでにいたこと

母のためにではなく、私は頑張る自分で、自分を認めてほしかったこと


母への依存から少し解放されたとき、母は働き始めました。

もう一回、自分の力で這い上がるために。







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